あだち充「タッチ」の達也・和也・南がコミュ力お化けだと思った

駄文

あだち充「タッチ」とは?

上杉達也、上杉和也は双生児。スポーツにも勉強にも真剣に取り組む弟の和也に対して、何事にもいい加減な兄の達也。そして隣に住む同い年の浅倉南。3人は小さい時から一緒に行動している、いわば幼馴染だった。そして互いが互いを異性として意識し始める。物語のスタート時、3人は中学3年生である。3人は微妙な三角関係のまま同じ高校へ進む。

wikipedia

今ならNETFLIX・Amazon Primeでタッチが見放題だぞ!

これは本当にどうでもいい話なんですが

週末はNETFLIXとかAmazon Primeを見て無駄な時間を過ごしてます。


そんな中、気づきました。「タッチ」が追加されていることを。



僕の中では「あだち充作品にハズレなし」の言葉通り懐かしさを感じつつ観てみました。
*別にアニメとか漫画の現役世代じゃないんですが。。


そこで、あの歌とかになついなーとか思いながら観てたんですが、


ふと、気づきました。


こいつらコミュ力高すぎじゃね?!

説明してみます。

まず、初期段階ではこの3名は中学3年生です。


そして3名の心理状況を記載すると、

—————————-
達也(お兄ちゃん)
→南が好きだが、和也(弟)が南を好きであることを知りつつ弟を立てる

和也(死んじゃう弟)
→達也(兄)が南のことを好きかつ南も達也が好きなことを知りながらも、
南にアプローチをする。また、達也が譲ってくれていることも当然知っている。


→和也の心理を含めこれらの状況を全て知りながらも達也にアプローチ
—————————-


つまり、この3名は全体の関係性を常に把握しつつ、それを踏まえて行動をします。



これってすごくないですか?



だって普通のラブコメ漫画って情報の非対称性から起こるスレ違いが鉄板じゃないですか。

で、「告白→告白されたことに気づかない」この黄金の延命パターンに終始するわけです。



それを「タッチ」は超越しているわけです。これが、あだち充・大先生です。



物語によくある一方通行のスレ違いが成り立ちにくく、

全員が読者と同じ「神の視点」を持ちながら高度な駆け引きを行なっている。

繰り返すが、全員中学3年生の設定です。逆に怖すぎです。



そして高校になると原田という人間が登場します。

この原田は言わずもがな達也のフォローをする人物ですね。

この原田もなぜかこの3名の関係性を把握しており、

読者の代弁をするかのような立ち位置をとり、達也に発破をかけます。


と、凄まじくどうでもいいことを思いました!!


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